top of page

農業に目覚めたアナイアレイター

「ニンジャスレイヤー」二次創作、2016年

突如家庭菜園にハマりクッキークリッカーめいてイモを作り続けるアナイアレイター。増え続けるイモ。サークル・シマナガシ前代未聞の危機!

農業に目覚めたアナイアレイター

 フィルギア、スーサイド、ルイナーはアジトから道路を隔てた向かいのビルに跳び渡り、向き直った。空には黒く厚い雲が嵐の前触れめいて立ち込め、彼らの住まいを重苦しい影の中に押し込めている。
 廃ビル屋上には鉄条網の渦がうねり、屋上に置かれていた様々なものを巻き込んでいく。ワータヌキ、雨避けの布、ソファー、古雑誌、スイカ、肥料の袋。火花が数度瞬く。家電製品が破壊されたのだろう。
「スーサイド、ちょっと行って止めて来いよ」
「止め……アレに飛び込めッてのかよ」
 スーサイドが指差した先でスイカが四散した。赤い汁がはじける。
「チッ」
 ルイナーは舌打ちし、フィルギアは肩をすくめた。
「食い物の恨みってのは恐ろしいね……」
 三人はそのまま黙り、アジト中央に竜巻となって吹き上がる鉄の茨を眺めた。

 

     ◆ ◆ ◆

 話は数ヶ月ほど遡る。

「ハラ減ったーァ、エサ寄越せーェ」
 情けない歌声は気の抜けたビールのようだ。夜中の二時に空腹で、冷蔵庫を開けても何もない。最も近いコケシマートは閉店時間をとうに過ぎている。とはいえ、開店していたところで財布の中身も空腹だ。彼自身はともかく、このアジトに身を置く仲間は皆若い。一人はこの間までハイスクールにいた。食欲旺盛な若者三人に、冷蔵庫は一つ。そういうことだ。
「やさしいこえよりイモがいいー……ハァ」
 フィルギアは虚ろな胃袋の底からやるせない声を吐き出す。その歌に応える者があった。
「イモ、あるよ」
 横から小皿を差し出したのはルイナーである。皿の上にはジャガイモが一つ。フィルギアはジャガイモを手に取った。冷たい。指先に力を入れると茹でたイモの皮が縒れてめくれた。
「どうしたの、これ」
「昼間収穫してた」
「アー……アレか。エ? 続いてたの?」
 アレとは、アナイアレイターが最近始めた趣味のことだ。ことの始めは、ビールを買いに出たアナイアレイターがなぜかバイオジャガイモを買ってきたことだった。
 アジトの面々の反応は様々だった。何だこりゃァと困惑した者、酒屋と八百屋の区別もつかねェかと評した者、ただケラケラと笑った者、その他、オウイエー、等。サークル・シマナガシに進んで料理をしようという者はいなかった。イモは屋上の非常階段脇に転がったまま芽を出した。
 アナイアレイターがアジトのガラクタの中から空のプランターを発掘したのは、誰もがイモのことを忘れかけた頃だった。折しもアジトのテレビでは、人気俳優がここしばらくの流行を伝えていた。
『ネオサイタマ主婦の間でプランター菜園が流行中』
『自家製野菜で賢く経済的! スローライフでオシャレ! お隣さんは始めています!』
『カワイイな野菜の写真をIRCで友達に見せよう!』
 いわく、近年のバイオ改良された種なら育てるに易く、収穫は実際早い。開始から数週間で食卓に節約と健康を。賢い奥様方、この機会にいかがですか。
「緑だから癒されるかと思ってよ」
 アナイアレイターは皮が緑になったイモを三つに切り分け、土を詰めたプランターに埋めた。
「緑ってそういうことじゃない」
「オマエ癒されてェのか」
 アナイアレイターは廃ビル屋上でバイオジャガイモ栽培を開始した。他の者は皆、彼がじきに飽きるか忘れるかするだろうと思っていた。
 ところが日々気儘に過ごしてきたこの若者には、暇だけは沢山あった。土が乾けば水を汲んで与え、芽が育ってからは土を足した。肥料を与え、雑草を取り除き、虫が付けばはたき落とした。
 苗には名前まで付けられていた。サユリ、カオル、ルリコ。イモに女の名前ナンデとルイナーが茶化すと、アナイアレイターはカワイイだからと照れて笑った。スーサイドはその様子を見て『気色悪ィ』と呻いた。
 アナイアレイターとともに過ごす仲間たちもまた、気儘な自堕落生活を送ってきた。夜は遅く、朝も遅い。彼らの頭目がジャガイモの世話を焼く姿を目にする機会は少なかった。しかしアナイアレイターは憑かれたような熱心さで努力を続け、それがついに実を結んだというわけだ。
「育ちの早いバイオ種苗とはいえ、収穫までこぎ着けるとはね」
 フィルギアは感心した面持ちでイモを齧った。冷えたデンプン質が口の中の水分を持っていく。
「俺も何か育てようかな……」
 廃ビル屋上に積まれたガラクタの間に、コンクリート土台をむき出しにした道路標識が立っている。誰かが酒の勢いで持ち帰ったものだ。その支柱に雨傘を括り付け、重金属酸性雨からプランターを守っている。相合傘めいて、空のプランターと新しい腐葉土の袋が置かれていた。

     ◆ ◆ ◆

 最初の収穫は二十数個。バイオ種にしては少ない収穫量だった。収穫の一部は種芋に使われた。バイオ種苗の生育は実際早い。数週間後には次のイモが収穫された。
 サークル・シマナガシの若者たちにはこれといった稼業があるわけではなかった。空きっ腹を抱え、財布の薄さを恨めしく思う夜もあった。だが今ではイモがある。アナイアレイターのイモはシマナガシの食糧危機を救ったのだ。
 アナイアレイターの次なる挑戦はイモの増産であった。廃ビル屋上のガラクタを一角に集め、空いたところにブロックで枠を設置した。そこにバイオ耐根シートを敷き、土を運び上げ、タタミ一枚ほどの畑を建造したのだ。アナイアレイターのニンジャ膂力を持ってしても、これは骨の折れる仕事だった。
 珍しく薄日の差した空の下、アナイアレイターはブロック枠に土を入れた。ルイナーは茹でたイモを皮ごと齧りながらそのの様子を眺めていた。褐色の土、バケツから撒かれる水の輝き。その向こうに、淡い灰色の空とビル群。
 アナイアレイターは麦わら帽子、首タオル、グンテ、ゴム長靴のフル装備を身につけ、大きなシャベルで黙々と土を掻いている。時々タオルで顔の汗を拭った。ズボンの尻ポケットには『マンサク商店の家庭菜園入門』が 無造作に差し込まれていた。
「それっぽいな」
「ア?」
 アナイアレイター怪訝な顔でルイナーを見た。
「農家っぽい」
「農家か、悪くねェな」
 アナイアレイターは額の汗を払った。スポーツ飲料のコマーシャルめいた健康的な笑顔である。
「キモイ」
 ルイナーは苦笑いして足元の砂利を数粒、アナイアレイターに放った。
 ブロック枠の畑にはさらに多くの種芋が作付けされ、空いたプランターにはラディッシュとレタスの種が蒔かれた。
 『マンサク商店の家庭菜園入門』は農業に目覚めたアナイアレイターのバイブルとなった。アナイアレイターはこの小冊子を肌身離さず持ち歩き、夕方ともなればソファに座してテレビのスカム番組そっちのけで読みふけった。自習の供にと冷蔵庫から持ってきたコロナは手つかずのまま温くなっていった。それを見たフィルギアは夕飯のイモを食べながら首を傾げた。
 点けっぱなしのテレビでは過熱する家庭菜園ブームを報じていた。ネオサイタマの住宅ではあらゆる窓辺にプランターが並び、書店では初心者用の農業教本が飛ぶように売れている。その一方で、無防備なプランターが野菜泥棒の被害に遭う事件も増えているという。
『心を込めて育てた野菜を。許せません』
 ニュース番組の出演者は大げさな仕草でコメントした。
「随分長くブームが続いてるなァ」
 フィルギアはテレビに向かって独りごちた。アナイアレイターは愛読書から顔を上げて応える。
「苗とか道具とか最近スゲェ安いんだ。バイオ苗のメーカーが倒産したってんで、在庫が出てる」
「ヘェー……」
「イモ増やそうかと思って」
「エッ……あのさ、同じ土で続けて育てるとマズいんじゃなかったっけ、イモって」
「ナス科の連作障害な。オーガニック種だと大変らしいぜ。土の養分とか細菌とかのバランスで……」
「アー……」
 アナイアレイターはよどみなく答え、フィルギアは背中に寒いものを感じた。この話はフィルギアからスーサイドとルイナーに伝えられた。
「増やそうッてのか、マジかよ。イモ余ってンじゃねェか」
「いやァ、そこじゃなくて、知性とかがさ……」
 スーサイドは暗澹とした顔だ。サークル・シマナガシに進んで料理をしようというものはいない。次々と収穫されるジャガイモを、彼らのスキルでは茹でるのがせいぜいだった。一方でイモの生産ペースは消費ペースをたやすく上回った。
 バター、ショーユ、シオカラ、ケチャップ、ミソ、アンチョビ、ノリペースト……シマナガシの茹でイモ食はあらゆる調味料のバリエーションを経て、アンコ、チョコレート、イチゴジャム、メン・タイ、砕いたハッパ樹脂など創意工夫と悪ふざけの領域に到達し、ついには。
「コメ、食いてェ……」
「スシってさァ、イモからじゃ作れねェよな……」
 スーサイドは天を仰ぎ、フィルギアはテーブルに突っ伏した。もはやイモは彼らの気力を奪うものに変わっていた。余ったイモはアジトの隅に積まれ、その高さを日々増していた。
「増産か、そいつは大変だ」
 ルイナーは他人事のような口調で呟き、パリッと音を立ててラディッシュを齧った。フィルギアは顔を上げた。
「お前それどうしたの」
「育ってたから盗ってきた」
 ルイナーは悪びれもせずラディッシュをもう一口齧る。
「俺は大変なことに気付いてしまった。盗んだ野菜は、旨い。スリルとサスペンスの味がする」
 サークル・シマナガシの食事情が新たなステージへ進んだ瞬間である。

 

     ◆ ◆ ◆

 サークル・シマナガシに新たなレクリエーションが流行し始めた。アナイアレイターの隙を突き、プランターのラディッシュを失敬する。ジャガイモに飽き飽きしていたシマナガシの面々にとって、生で食べられる作物が植えられたのは僥倖であった。
 無論、下手を打てばソファの方角からガラクタの類が飛んでくる。それを避けて戻ってくるまでがワンゲームだ。ルイナーに盾にされたスーサイドがシャベルでアフロヘアの上半分を失うなどしたが、危険といえばその程度だ。フィルギアはスーサイドのアフロ落武者めいた頭部を見るたび咳込むまで笑った。アフロは数日で元通りになり、スーサイドは初めて心からパンク・ニンジャに感謝した。
 ラディッシュ防衛においてアナイアレイターは一方的不利の状況にあった。これを覆したのは彼ならではのソリューションである。ブロック枠の周囲に鉄条網を巡らせたのだ。
 アナイアレイターの両腕から伸びる鉄条網は作物を傷つけぬギリギリの間合いに配置され、畑に近づく不届き者の存在を感知せしめた。アナイアレイターはプランターに持てる限りの集中力を注ぎ、仲間からラディッシュを守ることに成功した。なお、後にこの経験が大いに活かされる日が来るのだが、それはいま語ることではない。
 畑を守るすべを得たアナイアレイターはブロック枠の畑を追加建造した。仲間のニーズに応えたつもりなのか、新たな二面のうち片方にはバイオスイカの苗が植えられた。もう片方には余っていたバイオジャガイモが埋められた。仲間たちは声を揃えて叫んだ。
「イモかよ!」
 畑の増築作業はスムーズに行われた。二度目ともなれば馴れたものだ。アナイアレイターは麦わら帽子のつば越しに薄曇りの空を見上げて呟いた。
「ああ労働ってすばらしい……!」
 フィルギア、ルイナー、スーサイドはそれを聞いて青ざめた。
 廃ビル屋上の風景は変貌した。得体も価値も判らぬガラクタが野放図に置かれていた空間は綺麗に片づけられ、ブロック枠の畑とプランターが整然と並ぶ緑化空間となった。それはさながらアナイアレイターの生活態度の変化を示すかのようであった。
「農業楽しいなァ……岡山に引っ越しちまおうかなァ」
 宵の口、アナイアレイターはソファに座して言う。
「あの辺に、農業好きが集まって村ができてるらしいんだ。共同ででかい畑作ってさ。ユートピアだよな」
 テレビのスカム情報番組では、都市部を離れる『ホンキの農業』が流行していると報じていた。岡山県では集団農場が自然発生し、共同で畑を耕していると。日焼けした男が鎌を片手にインタビューに応じる。
『特に収入はありませんが、健康です! 皆で畑を維持する喜び……子供達にも労働の尊さを……』
 テレビに映る男の胸ポケットには『マンサク商店の家庭菜園入門』が差し込まれていた。その顔はといえば、白昼夢めいて遠くを見ているのだった。
 いまやアナイアレイターのライフスタイルは完全に変化していた。朝日とともに目覚め、早朝から野菜の世話をし、収穫したイモを食べ、宵の早いうちに眠りにつく。
 ある夜、スーサイドはソファで眠るアナイアレイターの健やかな顔を見下ろして言った。
「ムカつくほどグッスリ眠ってやがる」
「コイツ最近気味が悪い」
 ルイナーは表情もなくバイオレタスを丸ごとかじっている。畑から掠めとったものだ。
「かといって殴る気も起きねえ」
「肉食ってないからじゃないの」
 フィルギアは他人事のように言った。ルイナーはレタスをかじるのを止め、げっそりとした顔だ。バスケットボールの空気圧を確かめるようにレタスを両手で押している。レタスの結球は緩やかな弾力でその手を押し返す。固くなりすぎない良い巻きかただ。アナイアレイターの栽培スキルは着実に進歩している。
「もう何ヶ月も野菜しか食ってない。キョートのボンズみたいだ」
 ルイナーがぼやくとフィルギアは声無く笑った。
「ボンズは粥食ってるだけいいよね、コメだし。肉食いたいね……肉って言えばさ、ぺットショップで売ってるフクロウの餌、知ってる? 凍ったネズミを袋に詰めてさ……」
 ルイナーとスーサイドがフィルギアの顔を凝視する。
「冗談だって、冗談」
 フィルギアは意地悪く笑って、フラリとどこかへ出かけていくのだった。
 イモ畑がひと畝丸ごと荒らされたのは、その翌朝のことであった。

 

     ◆ ◆ ◆

「キョーコー! モモエー! オオオ……」
「まだイモに名前付けてたのかよ?」
 キョーコとその姉妹たちは花が終わり葉が枯れて、明日にも収穫しようという状態だった。イモの苗が並んでいた場所には浅い溝だけが残っている。真っ先に疑われたのはルイナーだった。ルイナーはこれを強く否定しながら、盗ってきたラディッシュをポリポリと噛み砕いていた。
「今更イモなんか盗るかよ」
 フィルギアとスーサイドの両名は頷いた。消費ペースを凌駕したイモはアジトの隅に山と積まれている。フィルギアはアナイアレイターの肩に手を置いた。
「なあ、仲間を疑ったってしょうがないぜ。テレビでもやってるじゃない、野菜ドロがここにも来たのかもしれないぜ」
「ラディッシュ盗ってるのはお前らだろ」
「そりゃあ、俺達料理できないもの。生で食えるものでなくちゃ」
 アナイアレイターは唸った。未だ疑いを捨てていない。ルイナーはラディッシュを飲み込んで頷き、おもむろに言う。
「よく見ろ。俺が食ってるのはラディッシュだ。イモじゃない。盗れたてラディッシュ、まさにフレッシュ、味はスリルとサスペンス……」
 フィルギアがにやけながらそれに続いた。
「イモの行方はラビリンス……」
 両手を体の両側で振る、妙な振り付けまでついている。
「もういい。ふざけやがって」
 アナイアレイターはソファーをひと蹴りして立ち去った。スーサイドは舌打ちした。
「なに火に油注いでンだよ」
 ルイナーはラディッシュの残りを噛み砕いた。
「気色悪ィんだよ。ナンデあんなにイモに執着するんだ」
 その日からアナイアレイターは畑の監視を強化した。昼夜を問わずソファの上から鉄条網を伸ばし続け、時折片手でコロナを呷った。廃ビル屋上の緑化空間は最前線の塹壕めいたキルゾーンに変わった。近くを通ったバイオムクドリやネズミが巻き込まれ、恐怖を煽るカカシめいて死骸をビル風に曝すようになった。今やアジトの仲間たちでさえ、畑に手を出すことは不可能であった。
 その殺気をあざ笑うかのように畑は荒らされ続けた。コロナの瓶が空になったとき、明け方にふとまどろんだとき。注意の逸れる一瞬のうちにイモが掘り起こされ、スイカまでもが持ち去られた。犯行は次第に大胆になっていくようだった。
 その都度シマナガシの仲間たちはアナイアレイターの尋問を受け、物的証拠の不足を理由に追求は中止された。そして四度目の被害に気づいた朝、アナイアレイターはイモの名前を連呼して床面を何度も殴り、やがてその場に伏して動かなくなった。
「どいつもこいつも……もうヤダ……岡山に行く……」
 アナイアレイターは涙声で呻きながら、細く出した指先の針金で床面に無数の八の字を描いた。
「いよいよヤバくねェかアイツ」
 スーサイドはアナイアレイターの様子を遠目に観ながら声を潜めた。背後ではフィルギアが椅子の背を抱えるようにして座って、やはり彼らの頭目の様子を見ている。
「別人めいてる。肉食ってねェせいか」
 ルイナーはスーサイドの隣で腕組みし、渋い顔で話す。
「今までこんな事はなかった。何もかも気味が悪い。なにより、身内を疑うってのが嫌な気分だ。あの野郎、俺達よりイモがいいのかよ」
「いや、お前ほぼ真っ黒じゃねェか」
 スーサイドはこれを遮った。
「何だよ」
 ルイナーは表情も変えずにスーサイドを睨んだ。
「スーサイドはいいよな、野菜盗れてねえし、アフロ取られただけだし。ノロマで良かったよな」
「アァ?」
 スーサイドは唇を曲げてルイナーに詰め寄る。
「まあまあ。身内でギスギスしたっていいこと無いぜ」
 フィルギアはにらみ合う二人に声をかけた。
「考えて見なよ。アイツの鉄条網、その辺のモータルに抜けられると思うかい。イモとスイカ抱えてさ」
「野菜ドロはニンジャだってのか。それじゃやっぱり俺が犯人にされる」
 ルイナーは険しい顔をした。
「落ち着けよ。俺達じゃなけりゃ、結論は一つだろ」
 フィルギアは椅子の背に顎を乗せて続けた。
「つまり、俺達の楽しいホームに、ちょっかい出してるニンジャがいるってこと……」
 フィルギアは二人に、アナイアレイターとは別でアジトの周囲を警戒するべきだと提案した。スーサイドは首を傾げた。
「でも野菜ドロのニンジャってセコすぎねェか」
「そこは俺達も人のこと言えないからな? 要は真犯人をアイツの前に引きずり出せばいいってわけだ」
 スーサイドとルイナーは不機嫌なまま顔を見合わせた。

 

     ◆ ◆ ◆

 深夜のアジトで凄まじい声が響いた。それは苦悶と怒りに満ちた怒号であり、痛みをはらんだ獣の叫びであった。
「切られた! クソが!」
 アナイアレイターが咆哮とともにソファを蹴倒して走っていく。
「マジかよ。今朝来たばっかりだろ」
 ルイナーが早足で脇を通り抜ける。スーサイドは目を覚ましてテーブルから顔を上げた。
「アイツはどうした」
「もう畑にいる。フクロウだ」
 二人が駆けつけてみると、アナイアレイターと奇妙な風体のニンジャがブロック枠の畑を挟んで向き合っていた。迷彩柄のニンジャ装束に、フロシキ包みを背負っている。編笠を深く被り、顔は見えない。
「テメェが野菜ドロか」
 ブロック枠の畑には引き抜かれたイモが転がっている。アナイアレイターは闘犬めいて唸り、畑に巡らせていた鉄条網を自分の足下に引き寄せた。
「野菜泥棒だと? おれは知らんぞ」
 不審なニンジャは片手で編笠の前を押し上げ顔を見せた。不穏な目つきだ。その手には束ねた有刺鉄線が握られている。
「俺の鉄条網を切ったな」
 アナイアレイターは目を見開き歯を噛んで、飛びかからんばかりの形相だ。不審なニンジャは自分の手の中を見た。
「オオッ?」
 アナイアレイターのジツ制御を離れた有刺鉄線は錆びた屑となり零れ落ちていく。
「おっお前! こんな粗悪品を掴ませおって! これではドージョーに防衛ラインも引けんではないか!」
「持って帰るつもりだったのかよ! イモやスイカもテメェだな!」
「だから、それは……知らん!」
 不審な編笠のニンジャはあからさまに動揺している。その背中にフクロウが急降下した。
「イヤーッ!」
 編笠のニンジャは回転ジャンプでこれを回避した。フクロウは鋭く旋回し、脚の爪を背中のフロシキに掛けた。包みが解ける。フィルギアはフクロウから人の姿に戻り、散らばった荷物の間に着地した。
「ワーオ、決定的な……」
 ニンジン、カボチャ、タマネギ、キュウリ、パセリ、セロリ、鍋、ワイヤカッター。遮光銀紙の大きな包みと、PVCの小さな包みがいくつか。フロシキの中身はほとんど野菜である。
「ち、違うぞ、これは」
 編笠のニンジャは言いよどみ、アナイアレイターは半歩踏み出した。ルイナーはアナイアレイターの肩を押さえた。
「待て。荷物にイモがない。ここで育ててないヤツばかりだ」
「そ、そうだ! きょうはまだ何もしとらんぞ。おれが来たときには既に――」
「『きょうは』って何だ、オイ」
 アナイアレイターはさらに半歩踏み出してアイサツを決めた。
「ドーモ、野菜ドロボー=サン。アナイアレイターです。お前ら、畑踏むんじゃねェぞ。俺がやる」
 編笠のニンジャは苦い顔でアイサツした。
「ドーモ、アナイアレイター=サン。フォレスト・サワタリです」
 アナイアレイターは畑を迂回し、踏み込みと同時にフォレストの顔面を殴りつけた。その手には有刺鉄線が巻かれている。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
 フォレストはタタミ数枚分の距離を飛ばされながらも一回転し、ネコめいて着地した。アナイアレイターは追撃に入るべく距離を詰める。
「イヤーッ!」
 直線ルートを取らずプランターを迂回しての突進攻撃は速度が乗らない。威力を欠くのは必然である。フォレストはアナイアレイターの拳を掴んで止める。アナイアレイターの手に巻かれていた有刺鉄線が錆びて崩れる。
「話してもわからんか!」
「完全にクロじゃねェか!」
「ヌレギヌだ!」
「うるせえ! イモの仇!」
「ヌウーッ!」
「ウオーッ!」
 両者は互いに腕を掴んで押し合い、一歩も引かぬ。さながら害獣と猛犬の睨み合うが如し。ニンジャ故事に詳しい者ならば、二者の姿にネコを表すカンジの由来を見出しただろう。ネコを表すカンジの右側は獣を意味し、左側は畑の苗を意味する。農地と領民をジャガーから守ったニンジャドッグ領主の伝承を示すものである。
「らしくねェな、膠着状態だ」
「肉食ってねェからな」
「イモ守ってるからじゃないの、どれだけイモ大事なんだよ」
 スーサイド、ルイナー、フィルギアはアジトの隅で二人のイクサを見守っていた。
「いや待て、ヤバい」
 フィルギアはゆっくりと後退を始める。
「フ……フォハハッ……ハッ……ハハッ」
 アナイアレイターが不吉な笑い声をあげ始める。フォレストを掴む両腕を緩め、笑いながら天を仰ぐ。
 有刺鉄線の束が流れ出した。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 話は漸く冒頭に戻る。
「食い物の恨みってのは恐ろしいね……」
 三人はアジト中央に竜巻となって吹き上がる鉄の茨を眺めた。
「野菜ドロ死んだかな」
 スーサイドはその場に腰を下ろした。もはや彼でさえ事態を止めようがない。
「どうだかね。ここからじゃ何にも判らないね」
 フィルギアはビルから身を乗り出しアジトの状況を見ようとしていた。 彼らの立つ位置からはただ黒々とした鉄の渦巻きが見えるばかりである。
「アイツ、『おれが来た時にはすでに』って言ってたよな」
 フィルギアはアジトに視線を据えたまま頭を掻いた。スーサイドはフィルギアを見上げた。
「まさか、ヌレギヌっての信じるのか?」
「野菜ドロがもう一人いるってことだろ。たぶん、アイツと入れ違いで来たのが」
 ルイナーは腕組みして、やはりアジトの方向を見つめている。と、スーサイドが立ち上がり、アジトの一角を指さした。
「オイ、ありゃ何だ」
 廃ビル屋上の嵐の中から這いだしてきた人物がいる。編笠のニンジャではない。三人は後を追って路上へ降りた。
 アジトから這い出した男は路上に飛び降り、数秒前まで隠れていた場所を見上げた。有刺鉄線が追ってこないことを確かめ、安堵の息をつく。
「あの小僧、ニンジャだったとは」
 男は麦わら帽子、首タオル風メンポ、グンテ、ゴム長靴の農作業フル装備ニンジャ装束を身につけていた。然り、ニンジャだ。腰のベルトには草刈り鎌と麻袋を下げ、左胸には小さく『豊年満作』のカンジが刺繍されている。
「だが儂のグリーンハンド・ジツからは逃れられん……」
「何のジツだって?」
 剣呑なアトモスフィアに農家風ニンジャが振り向くと、そこには見覚えのある三人の若者たちが立っていた。
「ドーモ、はじめまして。フィルギアです。ちょっと詳しく聞かせてくれよ、その話」
「ドーモ、ルイナーです」
「スーサイドです」
「あの小僧の仲間か」
 日焼けした肌と皺に囲まれた目が、麦わら帽子とタオル風メンポの間から三人を睨んだ。
「ドーモ、マウンテンショアーです。商談は先手必勝! イヤーッ!」
 マウンテンショアーはすかさずスリケン投擲のモーションを取った。スーサイドは両腕でこれを防御し、怪訝な顔で構えを解いた。スリケンにしては感触が軽い。
「アン? こりゃあ確か……」
 足下に落ちたのは小冊子『マンサク商店の家庭菜園入門』である。
「そいつに触るな! 何かあるぞ!」
 フィルギアが叫ぶ。
「グワーッ?」
 スーサイドは既に『マンサク商店の家庭菜園入門』を開いていた。スーサイドは落雷を受けたかのごとく立ちすくんだ。
「何だ? 何やってやがる!」
 ルイナーはマウンテンショアーの鎌斬撃をスウェーしながらスーサイドを見た。
「お前こそ何やってんだ」
 スーサイドが言い返す。
「あのクソが畑散らかしちまったんだからよ、帰って片付けねえとだろ。元通り耕して、種芋からやり直しだ」
 その表情はどこかボンヤリと白昼夢めいている。
「エッ」
「ああクソッ、マジか」
 ルイナーは耳を疑った。フィルギアは悪態をついた。二人はマウンテンショアーから間合いを取り、警戒する。マウンテンショアーは力強く拳を掲げた。
「これぞ我がグリーンハンド・ジツ! 農業に目覚めし新規顧客の出来上がりよ!」
 ルイナーはスーサイドの手から『マンサク商店の家庭菜園入門』を取り上げようとした。
「マヌケかお前は、しっかりしろ」
「何すンだよ、俺の本だぞ」
 スーサイドは小冊子を両手で掴んで離さない。ルイナーも負けじと両手で小冊子を掴む。
「そう焦らんでも、お前さんのぶんもちゃんとあるわい。一人一冊だ」
 スーサイドに注視していたルイナーの眼前に小冊子の見開きが突き出された!
「グワーッ! ……畜生、俺は……俺はイモなんか……」
 ルイナーは小冊子に目を釘付けにしたまま苦悶している。その見開きは白紙である! 奇怪!
「そうであろう、そうであろう。お前さんのような悪童は最初が肝心よ」
 マウンテンショアーは麻袋から小さな紙袋を取り出した。
「まずは収穫の早い作物で成功体験を植え付ける。ラディッシュがよかろうな?」
「クッ……クソッ……ラディッシュだと……ラディッシュ……」
 袋の正体はラディッシュの種である。ルイナーは抵抗し、袋と小冊子を交互に見ながら歯噛みする。表情が屈辱に歪む。
「ラディッシュヤッタァァー!」
 ルイナーは笑顔でラディッシュの種を受け取った。
「あとはお前さんだけじゃの、色男」
 フィルギアはサングラスを指先で押し上げ視線を隠す。
「嫌だね、野良仕事なんてガラじゃねェよ」
「そう言っていられるのも今のうちだ。ゆくゆくは四人揃って岡山県でニンジャ労働力にしてくれる。イヤーッ!」
 フィルギアの鼻先に草刈り鎌が突き出される!フィルギアはしゃがんで紙一重で回避。髪がわずかに斬られ、周囲に舞う。
「じゃあ岡山県で農業始めた連中はみんなアンタの本のファンってことかい。こりゃすげえ」
「努力の結晶を一晩でフイにされれば、隠遁しようという気にもなろうて」
 マウンテンショアーが麻袋から取り出して見せたのはジャガイモだ。湿った土のついた、まさに収穫したてのイモである。シマナガシを苦しめたイモ泥棒の正体がここに明らかになった!
「活きの良いニンジャ人材が得られるとは実際僥倖。マンサク商店再興の礎になれ! イヤーッ!」
 マウンテンショアーは草刈り鎌を高速で振り回す。
「倒産した園芸会社から苗の在庫が大量に出たってのも、アンタのとこか。ジツによる販促も焼け石に水だったな」
 フィルギアはマウンテンショアーの旋風のごとき斬撃を躱しながらルイナーとスーサイドの様子を見る。ルイナーはラディッシュの種の袋を片手に握りしめ、スーサイドはその場に座り込んで、それぞれ小冊子を熟読している。小冊子のページは……白紙だ。
「栽培だの屋上緑化だの、アイツにどうやって教え込んだ」
「簡単なこと。この小冊子は家庭菜園入門・初版のデッドコピーよ。グリーンハンド・ジツは白紙の小冊子を媒介し、家庭菜園入門の知識と精神を読む者に与える。『緑の手』の持ち主に変えるのだ!」
 マウンテンショアーはリズミカルな斬撃の合間に小冊子を投げつける! フェイントだ!
「ウワッ!」
 フィルギアは回避動作からさらに体を捻り無理やり顔をそむけた。バランスを崩し足を滑らせる。シャツの背が斬り裂かれ、肌に血が滲む。転倒したフィルギアにマウンテンショアーが歩み寄る。
「岡山県はいいぞ。労働と菜食主義がお前さんを心身ともに健康にしてくれる。野菜泥棒も来ない。『マンサク商店の家庭菜園入門』を読めばお前さんも岡山県でラブ・アンド・ピースよ……ムッ?」
 フィルギアはコヨーテに姿を変え、マウンテンショアーの懐に飛び込んだ。フィルギアはマウンテンショアーの喉笛を喰いちぎるべく突き倒す。マウンテンショアーは鎌の柄をコヨーテの横面に叩き込む。並んだ牙が空を咬んだ。
 マウンテンショアーは鎌を振り回し、コヨーテの背に振り下ろした。コヨーテは即座に真横へ回避する。大きく空振りした鎌は甲高い音を立てて路面を掻き、火花が散る。
「菜食主義だって? やなこった!」
 フィルギアは鎌を持った手首に喰らいついた。
「グワーッ!」
 マウンテンショアーとコヨーテは数度転がりあうようにして争った。フィルギアはマウンテンショアーの脇腹に牙を立て、肉を捻り切ろうと顎に力を込める。マウンテンショアーは懐に手を入れる。フィルギアは飛び退いた。
 フィルギアはそのままマウンテンショアーから離れ、近くにいたルイナーの手から小冊子とラディッシュの種を叩き落とした。
 マウンテンショアーは脇腹を血に染め鷹揚に笑う。懐から出した手には新たな冊子。
「小冊子を読むほどにジツが深まると踏んだまでは良いがな、こんな物はそれこそ配るほどある」
 マウンテンショアーはルイナーに新しい冊子を投げ渡した。
「聞き分けのない野良犬は一旦置いて、先に良い子へプレゼントだ」
 マウンテンショアーは腰の麻袋に手を入れた。取り出したのはビニールポットに入った苗だ。
「ほれアフロ君。トマトの苗をあげよう。大事に育てるんだぞ」
 マウンテンショアーはサンタクロースめいて苗を差し出し、スーサイドに手渡した。
「これは」
 マウンテンショアーは目を見開き、トマト苗を放り出して飛び退いた。マウンテンショアーの指先から白い光が漏れたのだ。白い光はスーサイドの掌に吸い込まれていく。ソウル・アブソープション・ジツ! スーサイドの表情は途端に引き締まり、マウンテンショアーを反抗的に睨みつけた。
「勝手ほざいてンじゃねェぞジジイ!」
 スーサイドは至近距離からマウンテンショアーの顎を殴りつける! ソウル・アブソープション・ジツで力を増したアッパーカットだ!
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
 マウンテンショアーは路上を転がった。農作業フル装備ニンジャ装束の懐から、大量の小冊子がばら撒かれた! スーサイドは即座にこれを踏み汚し、蹴り散らかす。その中にハードカバーの一冊が混じっている。表紙にはこう書かれていた。『家庭菜園入門 ホウネン・マンサク著』。
「ま、待てそれは」
 マウンテンショアーは路上に倒れたまま言った。動揺している。フィルギアが叫ぶ。
「スーサイド=サン! そいつだ! 初版本、小冊子のオリジナルだ!」
 スーサイドは目を閉じて初版本を開き、力を込めて両側へ引く。本の綴じ目が歪み始める。マウンテンショアーが悲鳴を上げた。
「アイエエエ!」
「イヤーッ!」
 家庭菜園入門は中央で真っ二つに破れた。精緻な植物図版の印刷されたページが周囲に飛び散った。

     ◆ ◆ ◆

 フォレストは集中砲火の轟音の中、積まれたガラクタの中で息を潜めている。空爆が終わるまでは身動きがとれぬ。運良くこの中を脱出したとしても、その先には畑の主が待ち構えている。民間人か、民間人に偽装したゲリラか判断がつかぬ。
「どこに隠れやがった! イモ泥棒! 農家の敵!」
 接近することなくあれを無力化する方法はないか。フォレストは思案した。手元にあるのはマチェーテとククリナイフ、タマネギが数個。
 フォレストはガラクタの隙間からアナイアレイターの様子を伺った。周囲のものを手当たり次第に鉄条網へ巻き込み粉砕している。その様子はさながら塹壕を敵兵ごと平らに埋め立てるブルドーザーブレードであった。この場所もじきに安全でなくなるだろう。
 敵の探知能力はいかほどか。フォレストは試しにタマネギを一つ、鋼鉄の嵐の中心へ投げ込んだ。アナイアレイターの頭めがけて飛んで行ったタマネギは、ぶつかる寸前に鉄条網にからめ取られ、粉砕される。
「ム、これは……」
 フォレストは続けてタマネギを投げた。アナイアレイターがタマネギの投擲方向に気付く。
「そっちか!」
 アナイアレイターは振り向きざまに鉄条網でタマネギを粉砕する――アナイアレイターの顔におろしタマネギが降り注いだ。
「グワーッ目! グワーッ!」
 アナイアレイターは顔を押さえて蹲る。鉄条網の嵐が止んだ。
「好機! イヤーッ!」
 フォレストはガラクタの中から飛び出し、アナイアレイターを組み伏せた。
「ただの農家にしては過ぎた武装だ!」
「グワーッ!」
 アナイアレイターは視界を奪われたまま腕を振り回して抵抗する。フォレストはマウントを取りアナイアレイターの頭に拳を浴びせる。
「貴様まだ抵抗するか!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「ちょっと、タァーイム!」
 二人のイクサは間延びした声に遮られた。
「こりゃひでェ。そこらじゅう錆と泥まみれじゃねェか」
「なんかタマネギ臭いな」
 三人のニンジャは口々に言い合いながら、ボロボロのニンジャを一人引きずってきた。ルイナーはマウンテンショアーを二人の前に投げ落とした。
「ほら、こいつが真犯人だ! 生かして連れてきてやったぞ」
「アンタにも悪いことしちゃったね。ウチに限って言えば本当にヌレギヌだったワケだ」
 フィルギアはフォレストに声をかけて笑い、マウンテンショアーを蹴った。マウンテンショアーは情けない声を上げた。
 アナイアレイターはフォレストの拘束を解かれ立ち上がった。顔は涙と鼻水にまみれている。アナイアレイターはマウンテンショアーを眺めた。
「ウーン、どこかで会ったっけな、このジイさん」
「テメェがイモ栽培なんかにハマったのも、いいタイミングで畑が荒らされたのも、全部コイツの仕込みだったんだよ。で? このジジイどうする?」
 ルイナーはマウンテンショアーの襟首を掴んで顔を上げさせた。懐から何かが落ちる。薄い小冊子。フォレストは首を傾げてそれを拾い上げ、広げた。マウンテンショアーが叫ぶ!
「初版本を失おうとも諦めんぞ! 原著の精神は著者たるこの儂にある!」
 マウンテンショアーの両目から血の涙が零れる!
「貴様もわがしもべとなれ! グリーンハンド・ジツ! イヤーッ!」
 フォレストは白紙の筈の小冊子を斜め読みめいて最後までめくり、マウンテンショアーを見た。
「貴様、ソ連の工作員だな。目的は地域農民へのプロパガンダか」
「エッ」
「戦闘で荒廃したとはいえ、元はといえばメコン川の恵みを受けた豊かな農地。これを収容してコルホーズ化とは」
「コル……エッ何? エッ?」
 マウンテンショアーはシマナガシの若者たちの顔を順番に見た。シマナガシの四人は顔を見合わせ、揃って首を横に振った。
「だがその企てもここまでだ! イヤーッ!」
 フォレストはマウンテンショアーの首にマチェーテを振り下ろした!
「サヨナラ!」
 マウンテンショアーはパイナップル収穫作業めいて頭部を落とされ爆発四散した。
「ヒュゥーッ……」
 フィルギアはマウンテンショアーの最期を見届けた。
「これにて一件落着だ。どうだい、気分は? 岡山県行くか?」
 アナイアレイターは黙って足元に転がるイモを見ている。ルイナーは大きく伸びをした。
「これでようやくイモと縁が切れる。仲間を疑うとか本当クソだ。まァでも、もう安心だ」
「バカみてェに女の名前なんか付けてよ、やっぱりおかしかったんだな」
 ルイナーとスーサイドは軽口を言い合っている。アナイアレイターの肩が震え始めた。
「気に入らねェ」
「ン?」
「イモとかジジイとかはどうでもいい。お前らの態度が気に入らねェ。俺のことばっかりクソだのバカだのと! 果樹の下で帽子直すヤツが窃盗犯ってコトワザ、知らねェのか!」
 アナイアレイターは語気に不穏な気配を含ませ始めた。
「いいかげんに! しろ!」
 再び有刺鉄線が地を跳ねる!
「ウワッ! キレた!」
 鉄条網の展開スピードは実際速かった。規模は小さかったが密度が高かった。スーサイドが止めに入ろうとするも、壁めいて遮られる。
「またかよ!」
 シマナガシの三人は揃って鉄条網を睨む。そのとき、鉄条網の向こうで咳こむ声が聞こえてきた。
「ゲホーッ! ゲホッ! ウゲッ!」
 黒い煤と煙が鉄条網に向かって流れている。煙の発生源はフォレストだった。プランターの一つに火をつけ、編笠で扇いで煙を送っているのだ。煙を避けるためか、顔はフロシキで覆っている。
しかし、いったい何を焼いているのか? イモの苗にしては背の高い――。
 フィルギアが悲痛な声を上げた。
「アーッ! 俺のハッパ!」
 かつてアナイアレイターが最初の収穫にこぎ着けたとき、フィルギアは少なからず感動し、そして考えた。俺も何か育ててみよう。使って嬉しく、売って金になる作物がいい。そうだ、大麻にしよう。
「フォレスト=サン! アンタなにしてんの!」
「だが奴は弱ってきたぞ」
 アナイアレイターは咳き込み、悶える。鉄条網の密度が減る。スーサイドは煙と鉄条網の間に飛び込み、アナイアレイターを全力で殴りつけた。白いコロイド光が周囲を照らす。
「グワーッ! ゲホッ!」
「ゲホーッ!」
 鉄条網は消え失せ、煙に巻かれた二人は昏倒した。

 

     ◆ ◆ ◆

「いやァひどい有様だ、笑うしかねェよ」
 フィルギアは未明の風に吹かれながらヒャッヒャッと肩を揺らす。廃ビル屋上は混沌の神が好き放題暴れまわったような散らかりようで、彼が腰を下ろしているガラクタも元が何であったか見当がつかない。
 フォレストは自分の荷物を回収し、ガラクタと鉄屑の間からイモを拾い始めた。ルイナーは気絶した二人を起こそうと何度か揺すったり蹴ったりしていたが、当分起きる気配はなさそうだ。ルイナーは諦めてフォレストに話しかけた。
「アンタそれどうすんだ、イモ」
「持って帰る」
「ひょっとしてマジでイモ泥棒なのか」
「人聞きの悪いことを。勿体無いから集めておるだけだ」
「いいよいいよ、持ってってよ。実際余ってんだ」
 フィルギアが投げやりに言う。
「あっちの隅のほうにも積んであったんだけどさ、無事ならそれも持って行っていいよ」
「お前たちは食わんのか」
「誰も料理しねェんだ」
 ルイナーの返事に腹の虫の音が混ざる。三人は顔を見合わせ、ルイナーは笑った。
「ハラ減ったって茹でイモはもう勘弁だ」
「フゥーム……」
 フォレストは顎を撫でながら少し考え、フィルギアに水場の位置を尋ねた。無事な皿と鍋を洗う。ブロックの破片を組んだ中で廃材を燃やし、鍋を乗せる。次いで小さなナイフで手際よくイモを剥き、細く刻む。荷物にあったほかの野菜も次々と切り刻む。
「こんなに調味料が揃っていながら……いやむしろ逆か……」
 フォレストは視線を落として独りごちた。異常に豊富な調味料のバリエーションから何かを察したのだろう。フォレストは刻んだ野菜とイモを混ぜ、鍋で炒めて味を加えた。
「さて、食おうじゃないか」
 調理の手際をフィルギアとルイナーがポカンと見ている間に、目の前に湯気を立てるハッシュドポテトが供された。複数の野菜が混じったカラフルな仕上がりだ。
「旨い」
「同じイモだってのに文化的な味がする」
 フィルギアとルイナーは衝撃に震えた。フォレストはそうかと目を細めた。
「あ、肉入ってる」
 ルイナーは料理を頬張ったまま呟いた。口の中にじわりと広がるのは紛う事なき動物性タンパク質の旨味である。実際何か月ぶりであろうか。
「肉、旨いなァ……」
「ン、この肉は……」
 フィルギアは肉を噛みしめ、何か考えている。
「ペミカンを持っていたので隠し味程度に使ったが、ちょうど良かった」
 ルイナーはフォレストの説明を聞きながら肉を咀嚼する。
「変わった味だな。ペミカンって何肉?」
「ペミカンは肉の保存法だ。肉を焼いて油脂で固める。今回のはネズ――」
「おっと、隠し味なら隠しときなよ。秘すれば花って言うじゃない」
 フィルギアが割って入った。
「ム、そうか」
 それきり肉の話題は続かなかった。フィルギアとルイナーはひたすら食べた。フォレストはルイナーとフィルギアが満足するまで食べたのを見届けると、余ったイモをたんまり背負って廃ビルを去った。
「結局何だったんだアイツ」
「知らね……イモ泥棒じゃないの」
 二人は疲れた顔で、朝の光に照らされる灰色の町並みを見た。
 日がすっかり高くなった頃になってスーサイドが起きてきた。
「変な夢を見た。アンタからタバコ貰ったときに見たようなヤツ」
「そうかい」
 フィルギアはぞんざいに応えつつ、スーサイドに皿を勧めた。
「ハッシュドポテト。食う?」
「イモかよ。まあ、食うけど」
 スーサイドは無言で冷めたハッシュドポテトを食べ始めた。
「なんか二人ぐらい変な客が来たような気がする」
「なに、覚えてないの?」
「いや、だから、夢で」
 スーサイドはふと顔を上げて屋上の混沌を見渡した。足元ではアナイアレイターが瓦礫を枕にして寝ている。
「ナンデこんなに荒れてんだよここ」
「そこから?」
 ルイナーとフィルギアは笑い出した。スーサイドはハッシュドポテトを食べ続ける。
「あ、肉入ってる。何の肉だこれ……」

 

     ◆ ◆ ◆

 数週間後。
「ハラ減ったーァ、エサ寄越せーェ」
 気の抜けたビールのような歌が出る。冷蔵庫を開けても何もない。
「やさしいこえより……」
 いや、イモは当分勘弁だ。フィルギアは冷蔵庫を閉めた。
 ビル屋上のアジトを復旧させ、最低限の生活を可能な状態にするには数日を要した。畑とプランターの残骸は撤去され、次の週には出所不明のガラクタや古い家電製品が増え始めた。一ヶ月もすれば、この場所は元通りの自堕落空間になるだろう。
「イモは、無ェな。でも腹減った」
「だな」
 ルイナーとアナイアレイターがボロボロのソファから立ち上がった。
 テレビではスカム番組が終わったところだ。ニュース番組が始まったが、すぐにテレビは消された。最初のニュースの見出しは『ホンキの農業の結末 岡山県に広大な放棄耕作地』であったが、彼らの関心を引くようなことではなかった。
「二つ先の交差点に『半自動イクラ』出来たらしいぜ。クーポン配ってた。オープン記念だってよ」
 スーサイドが言う。即座にルイナーが確認する。
「いま持ってるか? それ」
「持ってる」
「さすが」
 アナイアレイターは自分の手柄のように笑った。フィルギアもそれに倣う。
「イクラか……悪くないね。ミャーオーウーっていうアレだろ」
 四人は屋上から向かいのビルに跳び渡った。
「知ってるか? あのネコ、たまにジャックポットするって話」
「ただの噂だろ。それか故障だ」
「でも夢があるよね、イクラ・ジャックポット」
「味濃いだろ。食っててコメ足りなくなるンじゃねェの」
 さらに隣のビルへ、そこから路地に降りて表通りへ。腹を減らした若者たちは騒ぎあいながらチープな飲食店へ歩いて行った。
 

<終>​

bottom of page